水野学さんの「センスは知識からはじまる」を読んだ.
2013 年に水野さんが情熱大陸に出演されていた.今でも覚えているのが,散歩しながらふと見かけたラーメン屋の呼び方を考察するシーン.「札幌ラーメンの店」という人,「山田ラーメン」という人と,二手に分かれる,という考察をしていた.こういう日々の観察がセンスを磨くということなのだろうと勝手に思っていたが,実際そういうことがこの本には書いてあった.つまり,物事を多角的にみる視点を増やす,知識を増やすということを日常からやること.「みんな感覚を神格化しすぎている」.くまモンのほっぺたにある “赤丸” も,アンパンマンやピカチュウなど人気キャラクターから自分なりに考察したものだという.「答え導き出しオタク」「“自分に自信がない” というのは一度も誰にも負けたことが特技」と言っていたのも,とても印象的だった.
「センス」とは
斬新なアウトプット=ひらめき=センスと思われがちだが,実際はそうではない.「センス」は「知識の集積」であるというのが,この本では再三言われている.
グッドデザインカンパニー は、〝 企業秘密 ゼロ〟箱 の 中 身 の ほ と ん ど は 、 プ ラ ク テ ィ カ ル な も の で す 。 つ ま り 、 方 法 を 知 っ て 、 や る べ き こ と を や り 、 必 要 な 時 間 を か け れ ば 、 皆 で き る よ う に な る こ と で す 。 僕 が 特 別 な 人 間 だ か ら で き る 、 と い う わ け で は あ り ま せ ん 。
実 際 、 僕 の ア ウ ト プ ッ ト だ け 見 れ ば 、 突 飛 な ク リ エ ー シ ョ ン も あ る の か も し れ ま せ ん 。 突 然 、 と ん で も な い こ と を 考 え た り も し ま す 。 し か し そ れ は 、 地 道 か つ ご く 普 通 の イ ン プ ッ ト を し た り 、 徹 底 し て 段 階 的 に 考 え た り し た 末 で の 飛 躍 で す 。 い き な り 雲 の 上 ま で ジ ャ ン プ し た わ け で も な い し 、 ア イ デ ア が 天 か ら 降 っ て き た わ け で も あ り ま せ ん 。 一 瞬 、 空 を 舞 う ジ ャ ン プ が で き て い た と し て も 、 そ の 前 に は 日 々 の 筋 ト レ も し て い れ ば 、 ジ ャ ン プ の 直 前 、 猛 ス ピ ー ド で 助 走 し た り も し て い る の で す 。
「 セ ン ス の よ さ 」 と は 、 数 値 化 で き な い 事 象 の よ し 悪 し を 判 断 し 、 最 適 化 す る 能 力 で あ る 。
普 通 と は 、 「 い い も の 」 が わ か る と い う こ と 。 普 通 と は 、 「 悪 い も の 」 も わ か る と い う こ と 。 そ の 両 方 を 知 っ た 上 で 、 「 一 番 真 ん 中 」 が わ か る と い う こ と 。 「 セ ン ス が よ く な り た い の な ら 、 ま ず 普 通 を 知 る ほ う が い い 」 と 僕 は 思 い ま す 。
「尖っている企画と売れる企画は,必ずしもイコールじゃない」.誰も考えなかった突拍子もないことをひらめく必要はなく,アウトプットの最終段階に至るまでの前段階では,知識にもとづいた方向性の決定が大切.難しいのは本当にカンタンなことを「これが重要だ」と認識し,日々実践&繰り返しを続けること.「わからないのはセンスがないせい」ではなく,「わからないのはセンスを磨く努力をしていないせい」というのがギクっとしたポイント.
やればできるけどやらないとできない.
美術の授業が「センス」のハードルを高くしている
- 学科
- 実技
この二つを一緒くたにし、実技のほうにウェイトを置きすぎるあまり、「美術は学問ではない」という誤解が生じています。僕たちは美術となると、何の練習も知識もなしに、いきなり実技をやらされますが、美術にも学科があって然るべきです。美術の歴史、美術の見方、どのような技法がどのように成り立っているか、そうした知識を学びながら実技も行っていく。そうすれば、単に絵のうまい下手だけでなく、センスを育てる土壌ができるのでしょう。
歴史の知識、数学の知識は客観情報として与えられるのに、美意識にまつわる知識はすべて自己学習として放置されており、その結果、客観情報を集められるAくんと集められないBさんという差が生じてしまいます。
“センスを育てる土壌” というのは学生だった当時は意識しているはずもない.中学・高校の美術の授業は,確かに実技が 9 割くらいを占めていた.彫刻刀を用いた木版画,鉛筆点描,粘土など,個人的には好きで楽しかったのだが,その道を研究したいと思って取り組んでいる人はどれくらいいたのだろうか.後に美大に行くという人は周りにはほぼいなかったと思う.
祖父が版画家をやっている影響で,大学生のころから版画に興味を持って色々調べていた.毎年の展示に連れて行ってくれたおかげで「なんとなくすごそう」という小並感な感想から,版画の技法や作品の背景・その作家の技法・過去の作品も踏まえ鑑賞できるようになってきた.そういう学科的な視点が,学校でも学べていたらなぁと思うと,日々生活する “土壌” はとても大切だと思う.
Aさんは「福澤諭吉って,スゴイよね」と言います。Bさんは「福澤諭吉って慶應義塾大学をつくった人で、スゴイよね」と言います。Cさんは「福澤諭吉は『日本を変えてやる』と中岡慎太郎たちが騒いでいた頃,『次の時代には学問というものが必要になるだろう』と考えて慶應義塾大学をつくったところがスゴイよね」と言います。
Cさんになりたい.旅行に行ったときに訪れる場所,アートや展示に行く前,少なくとも Wikipedia を眺めるくらいはしていきたい.
Memo
- センスのよさとは,ものの見方がふえていくことで養われる
- 思い込みを捨てて客観情報を集める
- 市場調査のデメリット:自分の頭で考えなくなる,「調査結果で決めた」となると責任の所在が曖昧になる
- 企業の美意識やセンスが,企業価値になる.これが今の時代の特徴
- クリエイティブディエクター=丸ではなく四角ではどうでしょう?と提案し,経営戦略を共に考えていける人
- センスに自信がない人は,自分が,実はいかに情報を集めていないか,自分が持っている客観情報がいかに少ないかを,まず自覚すること
- 流行っているもの=センスがいいもの ではない
- 「ありそうでなかったもの」が皆を納得させる
- 王道のもの,売れるものには「シズル」=「そのもの・製品らしさ」
- センスが知識の集積である以上は,言葉で説明できないアウトプットはあり得ない
- 数多の情報から自分なりに納得のいく「王道」を探し出す過程で,センスアップに不可欠な「知識」の獲得もできる
- デザインがいいから売れたというより,売れるアウトプットを論理的に考えていったから売れている
- 自分の感覚を信用せず,その感覚がどこからやってきているのか確認する
- 感覚は知識の集合体.美しいと感じる背景には,これまでの美しいと思ってきたすべてがある
- 「知識を身につけよう」という気持ちではなく,「知りたい」という知的好奇心の扉が開かれていく